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「わたし、解体はじめました」/「食べる」「生きる」に一歩近づく

2014年にこの本が出てしばらく、話題になってた本だと思います。
都会生まれ都会育ち都会で就職した20代の女性が、東日本大震災をきっかけに「田舎暮らしの猟師」に転身。
戸惑いながら経験を積んでいく「奮闘記(帯より)」です。

「成長物語」として読むこともできるし、狩猟のリアルなど「知らない世界」を教えてくれる、興味つきない一冊でもあります。

そしてそれと同時に、もっと根本的ななにかについて、知らせてくれる、考えさせてくれる本でもありました。

なにか1つ「新しい認識」が自分の身体に入ってきたような、刺激になる本でしたよ。

「ひたすら消費し続けるだけの暮らしは、もうしたくない。」

著者の畠山千春さんは、横浜で東日本大震災に遭いました。
当時勤めていた会社のビルはぐにゃぐにゃと揺れて、同僚の皆さんと山下公園に避難したそうです。
その日の晩は家に帰れなくなった先輩を家に泊め、千春さんは

怖くて怖くて家にあったありったけのお米でおむすびを作りました。

本文より

その体験を通して千春さんは痛感したそうです。

お金を持っていてもいざというときに全然役に立たない!

これも、私にとってとても衝撃的なことでした。まさか、お金が「絶対」じゃなくなるときが来るなんて。
そんなことが、自分の生きている間に起こるわけないと思っていました。でも起こってしまった。

本文より

そして千春さんは思います。

食べ物にしろ、エネルギーにしろ、暮らしの中の大事な部分を人にお願いして自分はお金を払うだけ。
そうやってひたすら消費し続けるだけの暮らしは、もうしたくない。

本文より

スイッチ1つで電気がつく暮らしが当たり前になっていて、電気が家にやってくるまでの過程を“自分ごと”として想像できていなかったのです。
このとき、自分の無責任さを深く深く反省しました。

本文より

そして考えが食べ物に及んだ時、千春さんは

「同じようなことがお肉にも言えるのかも」

と考えます。そこで千春さんは知り合いのメンバーを集めて、鶏を絞めて食べることを体験することにしました。2011年10月のことです。

緊張の中、放し飼いの鶏を捕まえ、絞めるためにまず木に吊るした時、吊るした鶏のお腹のやわらかさやぬくもり、そして呼吸を千春さんは感じます。

「ああ、生きてるなあ、私と同じだなあ」と思いながら、ぎゅっと心臓が苦しくなります。
今まで感じたことのないさまざまな気持ちがこみ上げてきて、胸がいっぱいになりました。

本文より

そして、絞める前に、気持ちを込めて手を合わせました。
「ありがとう」の感謝の気持ちだけでなく、「ごめんなさい」や「怖い」、「どうしよう」、複雑な気持ちが交じりあった、まさに祈るような気持ちでした。

本文より

首を落とし、血を抜き、毛をむしって内蔵を出す。戸惑いばかりで、しかも初めてのこと、手際は決してよくなかったと千春さんは振り返ります。

しかしついに、みんなで絞めた鶏は

「鶏の旨みがじっくりと染み込んだ味わい深い鶏料理」

になっていったのです!

「いただきます」と手を合わせたときは、今朝生きていた鶏のこと、絞めたときの鳴き声、体が硬くなっていく様子や内臓の手触り、怖さやありがたさやうれしさ、いろんな感情が交じり合って、自然と涙が溢れてきました。

本文より

お肉を食べることって、まさに命そのものをいただくことだったんだ。
自分が今までどれだけの命に支えられてきたのか。
今このときも、過去にいただいたたくさんの命と一緒に生きているような感覚を、深く深く感じた瞬間でした。

本文より

とはいえ、千春さんの気持ちの中に、粛然とは違うものがあったとも素直に書かれています。

「解体」に興味をもった時にも

そして何より、私は食べることが大好き。お肉を食べるからには、自分で全部できるようになりたい!
自分の手でさばいたお肉は、きっと美味しいだろうな・・・。そんな食いしん坊な気持ちも、私を動かしたパワーの1つだと思います。

本文より

のちに、狩りをするだけでなく、自分で動物を育てて食べる体験をしようと烏骨鶏を飼い始めたときも、まず自分の鶏を絞める前に他の烏骨鶏を絞める機会をもった千春さんは

スヤと同じ烏骨鶏をさばくなんてさぞ自分はショックを受けるだろうと思っていた私でしたが、心が痛んだのは絞めるところまでで、そんな気持ちが霞んでしまうほどお肉が美味しかったのです!

本文より

とも書いています。

はっきり言って、スヤを見つめる目が変わってしまいそうなほど衝撃の美味しさだったのです。
こんな気持ちになってしまって、自分ってなんて単純なんだろう、残酷なんだろう・・・・とも思ったのですが、でも本当にそう思うのだから仕方がありません。

本文より

生きていたものを、自分の手を経て食べることは、厳粛さとともに「よろこび」も伴うものでした。

のちに千春さんが初めて獲ってきたイノシシを一緒に食べたシェアメイトたちはこんな感想を口にしています。

「いつもはお肉、あんまり食べないけど、ちはるちゃんが獲ってきたのなら食べたい!」

「イノシシパワー、すごかったね!寝るときも体があったかくって、冬だったのに暑くて上着1枚脱いじゃったよ。野生のお肉だからかな。」

「イノシシ肉を食べて体が本当に温まったから、普段は食べないけど、やっぱり冬はお肉が必要なのかなあって思ったよ。季節に合った食べ方をしていけたらいいな。」

千春さんは狩猟免許を取り、猟師として活動を始めます。

しかし、もともと都会育ちの千春さんにとっては、猟も山もかなりの手強さ。
さらに腕力も要求される場面では、やはり千春さんに苦戦が続きます。

狩りをする!なんて意気込んでいた私ですが、イノシシどころか、そもそも山のことを全く知らなかったのです。
こんな状態ではイノシシが獲れるわけがありません。
いかに自分の暮らしと自然がかけ離れていたか。圧倒的に経験値が足りなすぎる。
立ちはだかる大きな壁に、ますます自信だけがなくなっていきます・・・。
でも、やるしかない。

本文より

それでも厳しくやさしい猟の先輩たちに恵まれて支えられ教えられ、千春さんは一歩一歩たくましくなっていきます。

猟のリアル、知らなかったこと、考えるべきこと。書かれているそれらを読むのはとても楽しかったです。
そして同時に、すこし背筋がしゃんとするような気持ちにもなりました。

そのへんの詳しいところは、ぜひ本でお楽しみください。

「知る」と「知らない」の大きな距離

「自給自足最高!」

「ひとは昔の暮らしに戻るべき」

なんてことは思いません。

そして、確かに野生のものだったり獲れたてだったりするお肉には特別なものがあるでしょう。

でも、食材としての「質」の違いは大きいかもしれませんが、どんなお肉も基本的にその価値にそう差はないのではと思います。

現代生活が、たとえば「お肉」に関して、その「本来」から遠いところに来ているとは思います。しかし人間は、分業の過程を経てここまできました。
それは効率の面などを考えその時点で「必要」とされたのだし、それでこそ今の「発展」があるのでしょう。
そしてそれを「元に戻すべき」とは考えません。でも、「知る」ことは大切かと。

知ると知らないのは大きく違い、考えたことがあるのと考えたことがないのは大きく違う。
知ったうえでそれぞれの価値観に合わせたライフスタイルをしていけばいい。

無自覚にただ消費だけするのは危うい
いいとか悪いとかではなく、危ういんじゃないかと思うのです。

そしてそこを自覚しているということは、ちょっと大袈裟に言えば、「社会の歯車」でない生き方を(たとえ見た目には同じでも)しているってことに近いような気もします。

千春さんは本書を次のような言葉で締めくくっています。

まだ、何が正しいのかは分かりません。分からないからこそ、実践を通じて学んでいこうとしているところです。

本文より

命のことが、もっとオープンに、誰もが語れるテーマになっていくことを、心から願っています。

本文より

少しでいいから考えること。
それって大切なことかな、と思います。

巻末には第5章として

「解体・狩猟を始める入門ガイド」

「見学可能な食肉センター」

などの案内も載っています。

2014年の本なので、実際のデータは更新されているかもしれませんが、何かの行動の足がかりに、できるかもしれませんね。

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