エルキュール・ポアロの、最初の事件と最後の事件/アガサ・クリスティ

2020年12月6日

(以下の記事は前ブログからの転載です。)

「古典ミステリ案内」最初は、超ビッグネーム、アガサ・クリスティから始めることに致します。
知らない人はほぼいない(・・・と思っていたのですが最近ちょっと自信がなくなってきました。いやここはひとつ強気に)と言えるだろう英国のミステリ作家(1890-1976)アガサ・クリスティ。彼女が生んだ、これまたビッグネームの名探偵のひとりがエルキュール・ポワロです。

今後クリスティやポワロについては何度もご紹介することになると思いますが、今回はまず、ポワロ最初の事件と最後の事件について、書いていきますね。

ポワロ最初の事件は「スタイルズ荘の怪事件 (The Mysterious Affair at Styles)」
最後の事件は「カーテン(Curtain: Poirot’s Last Case)」です。

名探偵エルキュール・ポワロ

古典ミステリにおける「名探偵」の中で超有名人は・・・と言えばそれでもいろいろと名前は挙がりそうですが、あまりミステリを読まない、本も読まないという方でもまずご存知じゃないかと思われるのが、シャーロック・ホームズ、そしてエルキュール・ポアロ、だと思います(きっとそう。多分。)。

ホームズやポワロの探偵譚は映画やテレビドラマなどの映像作品として繰り返し作られていますし、マンガや小説のモチーフにもなっているので、それも理由となって、原作は知らないという方にも、探偵の名前はよく知られているんじゃないでしょうか。

NHKで放映されていたドラマ、「名探偵ポワロ」好きだったなあ。オープニングかっこよかったなあ。
オリエント急行の映画、よかったなあ。
いつか観た「そして誰もいなくなった」の映画は、ラストが原作と違っていて納得できなかったなあ(笑)。

それにしてもクリスティの作品は、本当に何度も何度も映像化映画化されますね。前出のオリエント急行なんて本当に繰り返し扱われるなあ、と感心してしまいます。設定が豪華だし、登場人物が多彩で個性的なので、いろんな役者さんを出したり衣裳や装置に凝ったりできて楽しいのかも。

(更に余談。個人的な印象では、ホームズものには原作からちょっと離れた設定の作品が散見されるのに対し、ポワロを“モチーフにして”原作から少しずらしている作品にはあまり覚えがない・・・ポワロを扱う時はあくまでも“クリスティのポワロ”からほとんど離れずに作られる、パロディ化等ほとんどされように思うのですが、これはどうしたことかなあ。探偵の個性によるのでしょうか。)

さて名探偵エルキュール・ポワロ。
どんな人物かというのを、ポワロ最初の事件である「スタイルズ荘の怪事件(ハヤカワクリスティ文庫版)」から引用しますと

ポアロは風変わりな小男だった。背丈は五フィート四インチそこそこだが、物腰は実に堂々としている。頭の形はまるで卵のようで、いつも小首をかしげている。口ひげは軍人風にぴんとはねあがっていた。身だしなみに驚くほど潔癖で、埃ひとつついただけでも、銃弾を受けた異常に大騒ぎをしそうだった。

最初のスタイルズ荘での事件当時はすでに退職していますが、ベルギー警察では腕利きの刑事だった人物(そう、ベルギー人なのです)。
「灰色の脳細胞(little grey cells)」という、彼自身の言葉も有名であります。

ポワロ最初の事件

クリスティの数々の作品でも活躍しているこのポワロの最初の事件が長編「スタイルズ荘の怪事件(The Mysterious Affair at Styles)」です。
1920年に世に出た本作は、クリスティのデビュー作。クリスティにもポワロにも「最初の事件」でありました。

友人が住むスタイルズ荘に滞在していたヘイスティングズは、友人の育ての母でありスタイルズ荘の現主人であるミセス・イングルソープの死に出会います。スタイルズ荘にいわば「君臨」していた彼女の死は、どうやら毒殺であるらしい。彼女を殺したのは誰なのか?

個々人の事情、思惑、感情が絡み合い、事件は複雑な様を見せます。それらを見事に解きほぐし、狡猾な犯人を指名しさらに逃げ場のないように告発するのがかの名探偵エルキュール・ポワロです。
彼が見破った殺人の手口といい、犯人を追い詰める手段といい、見事です。
細かいところまでしっかりよく練られ考えられている一作で、伏線も絶妙です。仕込み方がすごい
そして「話を複雑に」している(笑)人間ドラマも、丁寧に織られていると思います。
いろんな人がいろんなことをするので話がどんどんややこしく・・・。

ところでこの作品によると、ポワロがイギリスにやってきたのは亡命であるそう。
今まで読み飛ばしていたのですが、亡命ってどういうわけだろうと調べてみると、第一次世界大戦時のドイツによるベルギー侵攻を受けてとのこと。このお話はちょうどその頃が舞台なのですね。
なるほど。初めて気にしました。

ポワロ最後の事件

一方ポワロ最後の事件「カーテン(Curtain: Poirot’s Last Case)」は、クリスティの全盛期とも言われる1943年に書かれ、死後出版の契約をして、長く保管されていたものだということです。出版されたのは1975年。その頃まだクリスティは存命でしたが、それでも出版の許可を出しています。彼女が亡くなったのはその翌年。

子供の頃読んだミステリの案内書には「クリスティがポワロを愛するあまり、わたし以外の誰にもポワロの物語を書くことは許しませんと、ポワロ最後の事件を書いてしまった」、と記されていたのですが、今回いろいろ調べると、どうもそうでもないような・・・。あれは一体何だったのか・・・(笑)。

ヘイスティングズは、ポワロとともに「最初の事件」に遭遇したスタイルズ荘を、ポワロの招きで訪れます。今や持ち主も変わり、ゲストハウスとなったスタイルズ荘。老境に入り、心臓を病んで、手足の自由もままならない身体で車椅子生活をおくるポワロですが、到着したヘイスティングズに彼は、過去に起きた五件の殺人事件を提示します。それらはすでに解決済みとされていましたが、ポワロによれば五件の殺人には「真犯人」が存在し、その人物はいま、このスタイルズ荘にポワロと共に滞在するというのです。ヘイスティングズの娘も含む一群の人物の中にいる「真犯人」とは一体誰なのか。そしてその手口とは?やがてスタイルズ荘でも、不穏な事件が起こり、ついに死者が出ることとに・・・。

いろんなところで書かれているのでここでもご紹介してしまいますが、本作において名探偵エルキュール・ポワロの人生に幕が降ろされます。最後まで読み終えた時、周到に細かく組み上げられた謎と解決、隙なく散りばめられた手がかりなどの上手さに感心しつつも、やはり寂しく、悲しく、厳粛な気持ちになりました。

クリスティは、登場人物の配置とその動かし方が本当に上手だと思います。ミステリとしての謎と乖離させずに、それと絡み合うかたちで人間ドラマが描かれている。そこが永く読み手を獲得するひとつの理由なのかな、と思います。個人的好みでは、ミステリでは謎とトリックや論理を重視、不要な「ドラマ」はむしろいらないなあと考える方なのですが、クリスティの場合はそのドラマを「不要」と感じさせません。それはやっぱり「本筋」と離れてしまわないかたちで、むしろその「本筋」の重要な要素、「本筋」そのものとして、ドラマが描かれているからじゃないかなあと思います。

それにしても、どちらの作品においても、ヘイスティングズの「勘違い」ぶりはすごい(笑)。特に「スタイルズ荘」のほうでしょうか。いろんな意味で勘違いをなさいます。わざとかと思うくらい(笑)。
でもそのヘイスティングズをポワロは本当に友として愛し、その人となりを大切に思い続けているようです。
「カーテン」終盤でその気持ちに改めて触れることができました。
静かな感動と、そしてやっぱり静かな悲しみが、胸に広がる読後でした。

この「カーテン」も、「名探偵ポワロ」のTVシリーズで映像化されている、とこの記事を書くにあたって知ってちょっとびっくりしました。この話を演じたのかあ・・・。でも考えてみれば、この重要な作品が、放っておかれるわけはありませんね。

この、特別な「カーテン」という作品が、どんなふうにドラマで表現されているのか本当に気になります。
もう、是非とも観なくては!と思った次第です。
さあ見る方法を調べなきゃ。

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