「水曜日の凱歌」・戦後、日本には“慰安所”があった
同僚がお友達に勧められた、という話を聞いて、読んでみたくなったのがこの本です。
乃南アサさんの小説。少し厚みのある文庫本です。
帯のおもてには
「鈴子、14歳。8月15日に私の戦争ははじまった。」
とあり、帯のうらには、「特殊慰安施設協会(RAA)」についての説明が書かれています。
戦後すぐ、本当にすぐに、上陸してくる進駐軍のために、主に性的サービスを提供する目的で政府が作った実在の機関だそうです。
「進駐軍による性的暴力に備える」ために。
十四歳の二宮鈴子は、お母さまとふたりきりで終戦を迎えます。
戦争中にお父さまは事故死、お姉ちゃまと妹は空襲で亡くなり、ふたりのお兄ちゃまは出征、上のお兄ちゃまは戦死したとの知らせが入っていました。
東京は焼け野原。自宅も焼かれ、住むところもない鈴子たちに、家を世話し、なにくれとなく面倒を見てくれるのが宮下のおじさま。
お父さまの親友だったということですが、そのうち鈴子は気づきます。お母さまは宮下のおじさまの“愛人”ということになるらしいと・・・。
戦争が終わった直後、その宮下のおじさまからお母さまに仕事の話が舞い込みます。
学生時代に英語を勉強していたお母さまに、通訳をやってみないかというのです。
その勤め先が特殊慰安施設協会(RAA)。
進駐軍の兵士たちが上陸してくるのに備え、一般の女のひとたちが無暗に襲われないように、GIたちに女性の身体を提供する施設を作り運営する。その機関で働くのです。
鈴子たちが最初に住んだのは、まさにその“慰安所”のすぐそば、そこで働く女性たちのための寮でした。
十四歳の女の子が目の当たりにする、現実、出会う人々、目にする風景、度々の転居。
そしてやがてお母さまは・・・。
同僚はお友達に「元気になるから」と言って勧められたそうです。
実際に読んでみると、「元気にな」るという印象はあまり受けませんでしたが、「背中を押される」に近い感覚は時々ありました。
似たような言葉ではありますが、このふたつはちょっと違いまして、気分が高揚してよーしやるぞっ!と思うというよりは、身が引き締まるような、肚のあたりから、うん、わたしもしっかりやらなくっちゃ、と思わせられるようなそんな感覚がやってきたという方が近かったのです。
しっかりと「意思」を持つということ。
加えてしっかりと「見渡す」ということ。
そして果敢に「行動する」ということ。
自分にはやや欠けた部分だと常日頃認識している部分です。
この本を読むことによって、力を引っ張り出される気がします。
その意味でこの本はやっぱり「元気になる」本だったのかもしれません。
この小説が「女性のための」小説であることは確かだと思います。
登場する女性はあるいは悲しくあるいは悲惨で、あるいは逞しくあるいは壮快な姿を見せます。
そして時にうちひしがれ、時に弱く、時に呪詛を吐き、時に喝破し、時にしたたかに行動します。
小説の最後の方で登場人物が叫ぶセリフが、この本のテーマの一つであるだろうと思います。
そのセリフは女性の口から出たものであることに特に重要性があり(女性ならではの発言なのですが)、「知られざる」歴史と真実を暴き出すと同時に、現代の女性たちに強く、あることを語りかけます。しかその内容には、性別を越えて「ひと」の心に響くであろう深みを感じます。
けして薄っぺらな「糾弾」ではない、そうでなくて、何というか、「たましい」がそこには見えるように思うのです。
そのためこの小説は「女性のための」という側面はあっても、けして「女性向け」ではないのだと思いますし、当然、男性の読者をも惹きつけるものだろうと考えます。
「お母さま」についての評価はけっこう分かれそうですね・・・(笑)。
作者の力量がすごい、と思ったのは、「お母さま」に対する感じ方が、読み進める間に何度も何度も、少しずつ少しずつずらされていったからです。
鈴子自身の感じ方が様々に動くのと同時に、お母さまの見え方も、読者としての感じ方も、ちょっとずつずれていく。
この繊細な見せ方は只者ではありません。
人間という複雑なものを鮮やかに表現すると同時に、まさに日常生活で起こっていることを、そのまま読書体験で味わわされてしまうのです。
こんなことはあんまりないなあ。
先日乃南アサさんの「しゃぼん玉」という小説を読んで(あの本は映画の原作本、という読み方をしましたが)面白かったこともあり、今後読み進めていきたい作家さんのひとりです。
よろしかったら「しゃぼん玉」の記事もご覧くださいませ。
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